●大河ドラマ「天地人」出演 北村一輝:上杉 景勝

戦国武将、天地人、直江兼続、歴史
上杉景勝 
(うえすぎ かげかつ)
演:北村一輝(幼少:溝口琢矢)
上杉謙信亡き後の越後国主/上杉家当主

上杉景勝、長尾 顕景(ながお あきかげ)または長尾 景勝(ながお かげかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての大名。
豊臣政権の五大老の一人。
出羽米沢藩初代藩主。
弘治元年(1555年)、越後国(現・新潟県)に上田長尾家当主・長尾政景の次男として坂戸城に生まれる。
生母は長尾景虎(上杉謙信)の実姉・仙桃院で、景虎の甥に当たる。
早世した兄に代わり、世子となるが、永禄7年(1564年)、父の政景が死去したため、春日山城に入って叔父の上杉輝虎(謙信)の養子となった。
永禄9年(1566年)、謙信の関東出兵が初陣であるとされている。
景勝は、上田衆を率いて越中の将椎名康胤の取成や謙信旗本の吉江資堅の軍役を定めるなど、謙信政権下で重要な役割を担っていく。

天正3年(1575年)、名を長尾顕景から上杉景勝(一説では長尾景勝)に改めると共に、謙信から弾正少弼の位を譲られた。

天正6年(1578年)、謙信が死去すると、相模の北条氏からの人質として送られてきた謙信の養子で義兄(または義弟)上杉景虎との相続争いが勃発する(御館の乱)。

いち早く春日山城を抑え、御館に入った景虎と戦う。

直江兼続の奔走で、景勝は甲斐国の武田勝頼の妹・菊姫を正室に迎えて甲越同盟を結び、武田家の後ろ盾を得え戦局を覆した。

天正7年(1579年)、景虎正室である実妹・華渓院(華姫)は景勝からの降伏勧告を容れずに、自害。徐々に立場を悪くした景虎も自害する。
翌年天正8年(1580年)には越後の豪族も追従し、景勝は事実上の上杉家当主となった。
(Wikipediaより)

北村 一輝
(きたむら かずき)
本名:北村 康(きたむら やすし)、1969年7月17日 - )は、日本の俳優。フロム・ファーストプロダクション所属。
大阪府大阪市東住吉区出身。弓削商船高等専門学校中退。身長177cm。体重65kg。血液型:A型。
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元々は本名で俳優活動をしていたが、出演していた作品で三池崇史監督から「北村一輝」の名をもらった。

端正なルックスにもかかわらず、悪役やアウトロー、異端・異形の役もこなす怪優。
イケメンのホストを演じたと思えば、腹黒い秀才弁護士をも演じ、更には可笑しな笑い声を発するオタクの社長も平然とこなすその演技力は、型に嵌らない才能をもつ。
上記の通り個性派俳優と見られる向きも多いが、いかなる役にもなりきるため準備を怠らない面を見て職人的と称する意見もある。

【出演テレビ番組】
【主な出演歴】
1999年の映画『皆月』と『日本黒社会 LEY LINES』で、キネマ旬報新人男優賞、ニフティ映画大賞助演男優賞などを受賞。『皆月』ではヨコハマ映画祭助演男優賞も受賞。この映画で共演した奥田瑛二が、当時、北村に付けたあだ名が“浮遊する爬虫類”。

2001年のNHK大河ドラマ『北条時宗』では、主人公北条時宗(和泉元彌)の側近平頼綱として、元からの政権の重臣である安達泰盛(柳葉敏郎)への対抗心を如何なく表現してみせ注目を集めた。

『あなたの隣に誰かいる』(フジテレビ)では謎に包まれた殺人鬼、『夜王〜YAOH〜』(TBS)ではNo.1ホストなどの妖艶で不気味なオーラを持つ役どころが話題になり実力派役者としての地位を世間に知らせることになった。

2004年に公開された『ゴジラ FINAL WARS』(東宝)で演じたX星人・統制官役は、そのハイテンションさや、役柄の破天荒さが広く評価されている。

関西テレビで放送された単発ドラマシリーズ『横山やすし フルスロットル』では、漫才師の横山やすしを演じた。漫才だけでなく、競艇の選手としてのやすしの生き様にスポットを当てたドラマで、迫真の演技を見せた。

2006年の10-12月期にはドラマに二つ出演しており、『14才の母』(日本テレビ)では複雑な事情をもつ難しい役を演じている。2007年放送の『バンビ〜ノ!』(日本テレビ)では今までとは違い、華やかで笑顔を絶やさない紳士的な給仕長役を演じた。

『龍が如く』劇場版では主人公を務め、ルックスも似ていることからハマリ役となった。

2009年には再び大河ドラマ『天地人』に出演、主人公直江兼続と固い絆で結ばれた主君上杉景勝を演じる。

【生い立ちより芸能界へ】
少年の頃は海賊になりたかったため、商船高専に進学したものの、高専に通っても海賊にはなれないと気づき、中退。せめて海賊の役をやりたいと思い、役者を志したと、『徹子の部屋』出演時に語る。

海賊に憧れたのは、子供のときにテレビで見たタイロン・パワー主演の海洋スペクタクル映画『海の征服者』がきっかけである。その後に深作欣二監督の『蒲田行進曲』を見て、映画俳優になりたいという思いをより強くしたという。

Wikipediaより)』